これはTBSラジオで放送されたオリジナルドラマ『半沢直樹 敗れし者の物語』を文章に書き起こしたものです。
元西大阪スチール社長・東田満のその後
粉飾決算などの罪で2年2カ月の実刑判決を受けてなお、半沢直樹への怨嗟の炎を燃えたぎらせていた元西大阪スチール社長・東田満のもとへ、彼の恋人だった藤沢未樹が面会に向かったのは、収監されて1カ月ほど後だった。
「てめえ、どの面下げて来たんだ……!」
海外口座に財産を隠し持っていることを示す証拠の書類を半沢に渡した恨みを、透明の壁越しにぶつけようとする東田に、未樹は初めて会った日のことを話す。
初めて東田と会ったのは3年前。未樹は大阪・北新地のクラブで働いていた。
臙脂(エンジ)色が好きだという東田に、未樹は将来、ネイルサロンを開きたいと夢を話したのだ。そして「おまえ、いい顔で笑うんだな。じゃあもっと笑わせてやる」と言い、くだらないクイズ大会をはじめた東田に親しみを覚えた。見た目はこわいが、きっと悪いひとではないのだろうと思った。
その頃の未樹はお金に追われて疲れ果てていた。父親がギャンブルで残した借金を返すため、生活を切り詰めながらネイルサロンの開業資金を貯めていたのだ。そんな未樹はいつしか、毎日店に通ってきて体調を気遣い、励ましてくれる東田に惹かれていったのだった。
「―――私はね、あなたの言葉に救われたの」
「うるせえ……!いまさらクソみてえな思い出話なんざするんじゃねえよ。おまえのせいで俺はここにいるんだよ。うせろ……。俺の前からとっとと消えやがれ」
看守が制止しても東田の怒りは納まらない。
「いいか、おまえと半沢だけは絶対に許さねえからな!」
面会を打ち切られ、看守に引きずられるように部屋を出ていく東田を、未樹は黙って見送った。
数日後、東田は未樹からの手紙を受け取った。
臙脂色の封筒。あなたを怒らせたくて会いにいったわけじゃない。
伝えたいことがあった、と便遷には書いてあった。
未樹からの手紙は、その後も1週間おきに届いたが、東田は目を通そうともしなかった。
しかしある日、東田は気づく。臙脂色と緑色の封筒が交互に届いていることに。
「まさか……」
東田は慌てて看守に筆記具を持ってきてくれと頼んだ。
再会は1年後だった。
「私に聞きたいことがあるのよね?」と促す未樹に、東田は告げる。
「その前に、答え合わせだ。手紙の色のこと」
「そっか」
「クイズだよな。昔、あのクラブでおまえが俺に出した」
「そうだよ」
この色の暗号を解いてください。バンブーっていう、柔らかい黄色があるんですけど、バンブーの1と赤の2はある言葉を表しています。さて、何でしょう?
バンブーの1番目の文字は「バ」。赤の2番目は「カ」。あまりのバカバカしさに、東田は大声を上げて笑った。そしてこんなくだらないことで笑えるのは幸せだと言ったのだ。
未樹から届いた封筒には数字が小さく書き込まれていた。臙脂色の封筒には1。緑色の封筒には3。
答えは「エリ」。東田は声に出して呟いた。
「そうだよ。エリ。私たちが付き合い始めたころ、よくその話をしたよね」
それは2人の間に子どもができ、女の子だったらと、東田が決めていた名だった。
笑里と書く。
未樹もその名をとても気に入っていた。
東田は封筒を使ったクイズで、自分が親になったことを知ったのだ。
収監された直後に身ごもっていることに気づいたと話す未樹に、東田は嬉しさを押し殺しながら聞く。
「どうしてこんな、手の込んだ方法で教えた」
「このクイズを出したとき、あなたはくだらねえって大笑いしてくれた。くだらねえことで笑える人生が一番幸せだって。
でも、いつの頃からか、あなたは笑わなくなったよね。私ね、あなたに笑っていてほしいの。昔みたいに」
「……くだらねえ」
東田がそう呟いた時、看守が面会時間の終了を告げた。
「くだらなすぎるよ、おまえは」
東田は「待っているから」という未樹の声を背中で聞いた。
3カ月後、東田は刑期を終えた。
未樹が迎えにきていて、早速、赤ん坊を抱いた。
とてもよく笑う子だった。
カツ丼を食べにいこうぜと言って、歩き出す。
見上げると真っ青な空に白い雲が流れ、茶色の鳥が舞っていた。
「確かにそうだ。この世界には色が溢れているよ」
東田は声を上げて笑った。




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